白い親善大使〜ぎんじと過ごした15年

確かな絆で結ばれていた愛犬との思い出を綴ります

3年ぶりの帰省



神戸からフェリーサンフラワー号を使い大分まで船舶の旅。船酔いを心配したが揺れによる不快感はほとんどなく快適だった。


息子も船内の大風呂では修学旅行中の女子高生に黄色い声とともに取り囲まれご機嫌だった。ハイハイでの移動がとても楽しい時期で、誰から見てもかわいい盛りだった。


大分から車で阿蘇へと走る。景色はどこを見ても山山山。その峰の深さの美しいこと。自分の故郷にも山はあったが、阿蘇の山に比べると砂山のようだと感じた。


夫の実家に着くと、姑が走るようにして車の横に現れた。息子の顔を見て涙を浮かべながら感激した様子を見せ、こちらも胸が熱くなった。


家の中で舅と義兄が待っていてくれた。舅は寡黙な性格だが子ども好きの様子で、愛想を崩し息子に笑いかけた。


夫の家は阿蘇山の麓にあり、とても古くて小さな平屋だった。玄関らしい玄関はなく、入ると広い土間があり、以前はここに牛の寝床もあったと言う。


70センチを超える高さの上がり框の下には、農機具や肥料などが保管されてあった。

11月に入る前だが朝夕は冷えるらしく掘り炬燵の中には練炭が据えられていた。

電気こたつより暖かく、息子が下に落ちないようにと家族皆で気配りしてくれた。


義理の兄は夫より3歳年上で、20代の頃会社が倒産し、それから就活が上手く行かずうつ病を発症し

メンタルクリニックで治療しながら舅と同じ職場、

国民休暇村の清掃員をしていた。


義兄に会うのは4度目ほどだが、朴訥とした中に誠実さと優しさを感じる人だった。